続 訴える木    身留苦






「プロフェッショナル」というNHKの番組があり、極くたまに見ます。
厳密にはプロフェッショナルについてというより、
余人の成し遂げられないことを成し遂げ、不可能を可能にした、
その過程を辿る内容で、
大ヒットした「プロジェクトX」の流れを汲むもののようです。

過日はりんご農家の話でした。
放送の内容をかいつまんで書いてみます。
りんご農家に婿養子に入った木村氏は、農薬の弊害に悩み、
農薬に頼らないリンゴ作りを決意します。
しかし、薬を撒かないリンゴの木は害虫や病気に侵され、なかなか実りません。
リンゴが実らなければ無収入で、
キャバレーの呼び込みなどで生計を立てるしかない厳しい状況となります。
あれこれ工夫してもリンゴが全く実らない年が続き、家は貧しくなっていきます。
子供たちに励まされ、なんとか続けるのですが、8年目・・・
ついに絶望して死を決意した木村氏は山に入り、死に場所を求め彷徨ううち、
1本のどんぐりの木を目にします。
自然のどんぐりはなぜ薬も使わないのに元気なのか。
木村氏は木の根元を掘り、柔らかさに驚きました。
そして、土の重要性に気づき、リンゴ作りに応用することにしたのです。

後半は弟子育成の話となります。
私にとっては、ここからが本題になります。

数年後、薬を使わないリンゴ作りを確立させた木村氏は、
後進の指導にあたります。
弟子の1人は、建設会社社長から転身した佐々木氏で、
弟子と言っても若くはない中高年者です。
なんとかリンゴ経営によって身を立てようと、木村氏の指導を仰ぐのですが、
なかなかうまくいきません。
彼は実は木村氏の指導通りにはせず、酢を噴霧する手間のかかる作業を、
密かに大型機械に頼っていたのですが、
大型機械になぎ倒された草を手に取った木村氏は、即座に見抜いてしまいます。
大型機械による散布は、作業の効率は格段によいけれども、リンゴの木の周囲の土を踏み固めるため、
リンゴの木を弱らせます。よってリンゴは実らないのです。

木村氏はその非を咎めるのに「リンゴを苦しめる」「リンゴが主人公」と表現しました。
木を愛する心が基本だと説いているのですが、
効率だけを考えている佐々木氏には、伝わっていないのがわかります。
そしてとうとう木村氏は、
「どうしても噴霧の大型機械を使い、苦しむリンゴを見ていることが出来るなら、この先やっても続かない」
という意図を以って、大型機械使用の許可を出したのです。

その時、異変が起こりました。
リンゴの木が、時期でもないのに狂い咲いたのです。
番組に挿入される、見過ごされがちなエピソードの1つですが、
私は自分の経験である1の62話「訴える木」を思い出さずにおれませんでした。
この経験以後、私は幼児を見るようなまなざしで木を見、接するようになりました。
木が人間の抱(いだ)く殺気などの感情に反応する、
テレパシー能力を持っているのではないか、と思うようになったからです。

リンゴの木は、
佐々木氏の「やっと大型の機械を存分に使えるぞ」「効率がよくなるぞ」
という強い想念に感応したのではないでしょうか。
そして、
「またあんな苦しい思いをさせられるぐらいなら、渾身の力で今、花を咲かせてみよう、もしかしたら思いとどまってくれるかもしれない」
と思い、時期でもないのに懸命に狂い咲いたのではないでしょうか。

秋になり、佐々木氏の畑のリンゴの木は、僅か数個しか実りませんでした。

リンゴの木が物にしか見えない人は、リンゴの木に辛く当たることができます。
リンゴの木は自分たちの状況を悪化させる人に、手は貸せないということでしょう。

「花咲かじいさん」の昔噺は、上記の話とよく似ています。
善人のじいさんは犬のポチをわが子のように可愛がり、
ポチは恩返しにと「ここを掘れ」という仕草をし、「ワンワン」と吠えます。
善人のじいさんが地面を掘ると、大判小判が現れて、たちまち大金持ちになりました。
それを強欲な隣のじいさんが知って真似をしようと思い、
ポチを借りたいと申し出ます。
強欲なじいさんはポチの世話より何より、早く大判小判を出せと責め立てます。
そしてポチが示した場所を掘ると、ガラクタや汚い物が出てきて、
カッとなった強欲なじいさんはポチを殺害してしまいます。
結局は強欲なじいさんには天罰のような出来事が起こり、
善人のじいさんは更なる幸運に見舞われるのです。

「生き物は、愛すれば応えてくれる」
「お金儲けは手段ではなく、結果であるべきだ」

この昔噺もまた、如実にそれを伝えているような気がしてなりません。