続 降って来た    身留苦






最近購入した本(「偶然の一致はなぜ起こるのか」河出書房新社 宗方昭夫著)を本日読んでいたところ、
このサイトの恐怖体験1の19話「降って来た2」とよく似た話がありました。

新聞や雑誌の偶然の一致の事象を見つけて、資料として並べた話のうちの1つで、
毎日新聞の主婦からの投稿の体験談です。
彼女は、会社の寮で住み込みで働いている、子を持つ母親で、
あるときひどく疲れて帰ってくると、小学校高学年の息子がいろいろな不満を汚い言葉でしゃべり始めました。
彼女は、
「そんなひどいことを言うなんて、私が元気ならあんたの頭の1つもたたいて怒らないといけないのに、
あんたに申し訳ない」と言いながら涙をこぼしました。
それでも息子は話し続けました。
その時、後ろの本棚から本が3冊、息子の頭に落ちてきました。
それ以前も以後も本がこのように落ちてきたことはありません。

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私の体験と共通する「理不尽な」「長い」「酷い言葉」の最中に物が落下して、
しゃべっている当人の頭にタイミングよく当たる、という出来事が、
意味のある偶然の一致であるとするならば、それを惹き起こしたのはいったい何者なのでしょうか。

この母親の「あんたの頭の1つもたたいて怒らなければ」というのは、
息子に腹を立てたので叩きたいなどという狭い了見によるのではなく、
ひどいことを言われてもなお、息子のためを思うまさに母親の真心です。
当然叩かなければならないが、どうにも疲れて体が言うことをきかないというもどかしい状況にあって、
母親の潜在意識が、物を落とすことにより間接に頭を叩こうとしたのでしょうか。

私の体験では、落ちてきたのは私が今まで見たこともない旧式の炊飯器でした。
そこにそんなものがしまわれてあったことさえ知りませんでした。
そして母親だけに、その頭を叩いてわかってもらいたいとは思いませんでした。
しかしながら、もしかしたら精神の底の底の深奥では、
そのような諌めようとの思いが、一瞬であれ爆発的に芽生えたのかもしれません。

超能力でいうところのサイコキネシス(念動力、観念動力)は、手を触れずに物体を動かす力です。
上記の体験を宗教がかって考えてしまうと、見るに見かねて守護霊が〜などとなりがちですが、
念動力と考えるのが自然のように思います。
あくまでも意味のある偶然の一致であった場合です。